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今日は3・11

朝から被災地からの中継
福島の現状は、想像したとおりだけど
以前行った富岡町の駅が綺麗になっててびっくり。
私が友達に連れて行ってもらった時は
まだ避難区域で人がいなくて、手付かず。
ひっくり返った車や崩れた建物だらけだったのに
全然変わってた。

国道6号線・・・
浪江・小高・相馬・・・・
懐かしい地名ばっかり。

一昨年の3・11は、被災地にいました。
震災の日、戦場のような場所であったところで一人黙祷したこと。
覚えています。
何でその瞬間に誰もそこに人がいなかったのか不思議でならない。
午後の日差しが差し込める、病院のホールでした。

これからもいろんな3・11を過ごすだろうけれど
忘れられないだろうな、あの日のあの瞬間。

夜は仲間と飲み会で一人が
「あれ以来、あの日のことを話すのは初めてかも・・・?」といった言葉が忘れられない。
ずっと言葉を封印してきたんだね。

震災からもう7年。
知り合った人達とは、これからもできるだけ交流していきたい。
その時のスタッフがカップルになって、結婚するって知らせが来た。
赤ちゃんも出来たって。
今も出て行った人が帰ってこない町で、子供が生まれる。
被災した町はどんな形になるかわからないけど
ずっと応援していこうと思う!
何しろ、私には縁があるみたいだから・・・・(*´∀`*)

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とうとう・・・・

南相馬市の鹿島地区にあった一本松が
とうとう昨日伐採されたとニュースで見た。

私が向こうに行くと必ず行ってみた松の木

よく立っていると思ってたんだ。

あれだけ長い間塩水に浸かり、
かつたった一本で、潮風に吹かれまくって6年
根がやられ、枯れるのは当然と言えば当然。

もし助けられた方法があったとすれば
当初すぐに根本の土をすべて取り換え
大きな囲いで風でもよけてやるしかなかったろう。
そんな余裕などなかったし、ある意味
枯れるのは時間の問題だった。

私が会いに行った時も、もしあるとすれば松の木の精は息も絶え絶えだったんだろう。
そしてあの訴えるように見つめていた猫は
私にそれを言いたかったのかもしれない。

IMG_6082_20171228221100a41.jpg

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       IMG_6076_20171228221158498.jpg

IMG_6094_20171228221233880.jpg

  写真で見ると、私が行った時よりずっと開発が進んでる。
  もう集落はできないそうで、一帯は工業団地になるとか・・・

この被災当初の写真を見ると
そこがどんなところだったか(人家があったところ)
そして今、どれほど変わったかがわかる。
IMG_6086_20171228221527e5a.jpg
更に、そこで私が亡くなった人々の魂を感じたように感じた意味がわかる。

やっぱり6年という時間は短いようで長いんだな・・・・・

う~む・・・・

今日何げにテレビを聞いていたら
  「福島県相馬市・・」というフレーズが聞こえた。

え?相馬?
私がお休みの日によく行ってたところだ・・・
と仕事の手を休めて見ていると
「震災の証言記録」で
集落の半数が津波で亡くなり、親友をなくした中学生の女の子の話でした。

なかなか受け止められなかったけれど
今では復興の役に立つ仕事をしたいと建築士の学校に行っているとか・・・・

その集落名が出たのでググってみたら
何と、私が意識せずに、車を停めて、降りて、とっとと歩いて行ったら
遺体収容後の花が備えてあった地域ではないですか・・・・

今でも人気のない、車一台通らない場所の
棒の先の色あせた赤い紐が目に浮かぶ。

やっぱりね、やっぱり人が沢山亡くなったところだから、私は呼ばれたんだな。
20160321202022c01[1]

TVを見たのは偶然だけど
その偶然見たテレビに写っていたのが
私の行った場所だったなんて・・
偶然って必然ってこともあるのかも。


  合掌
    安らかにお眠りください。

なぬ?

何げに見たネットニュースで
福島県南相馬市の「鹿島の一本松」
    *奇跡の一本松と言われてます。
が伐採されると知りました。
そのニュース、もう一回見ようと思っても、出てこないのだけれど
確かに見た。

私が福島に行くたびに訪ねているこの場所は
だだっ広い場所にたった一本松が立っていて
この木がなければ、ここに人が住んでいた事なんて思えないような所。
でも、確かに集落があって、人がたくさん亡くなった。

陸前高田の松は枯れてレプリカになったけど
これは生きている、これこそ奇跡だよねぇなんて地元の人と話してたけど
やっぱり枯かれちゃったんだな。
潮に洗われた後、たった一人立って潮風にさらされてるんだもの
枯れるわね、そりゃ。
この地域の整備計画もあって
切られることになったらしい。

あの日、ここで私は、一匹のネコに逢ったのだ。
人家から何キロもあるのに、そして餌など何もないところなのに
ふと、見たら私の車の後ろにじっと座っていた。
今もあの目を思い出す。
しばらく見つめ合ったあの時間
見渡す限り何もないあの(元)田んぼの、一本松の下で・・・・・
結構人が訪ねてくるスポットなのに
誰ひとりいなかった・・・・・・・・

・・・・・

あの一本松が切られ、人々の思い出は又遠くなり
新しい町ができる・・・・・・のだろう。
今ごろようやく?っていう気もするけど
確実に時が過ぎ、何かが少しずつ変わっていく。

それでいいんだ。
そうでなくてはいけない。

又訪ねてみたくなったなぁ。
IMG_0308_20171113201654968.jpg
よく見れば2年前・・・
確かに、危ういね。

被災地から‥①

私は犬も猫も飼っちゃいけないといわれてもな~んも困らない。
飼いたいと思ってないから・・・
嫌いなんじゃなくて、死ぬときの悲しみに耐えられないからなんだけど。
中には孫のように子供のようにかわいがっている人だっていること。
それくらいは知ってる。

その犬を飼っちゃいけないといわれているおばあさんの話
今朝のニュースの特集
被災ペットのその後のお話。
ちゃんと見てなかったから不正確かも知れないけど

消防団の息子さんは繋がれた犬の綱を解いてあげた後
津波に流されて亡くなった。
おばあさんは今、南相馬市の復興住宅で独り暮らし
そこで犬を飼うことは禁じられているそうだ。
遠くNPOのところで生活している「マリ」と会えるのは1年に1回
今回は1時間だったそうだ。
INU.jpg

   INU2.jpg

INU3.jpg

何も悪いことをしたわけじゃない
ただただ普通に暮らしてい人が、
歳を取って、高層アパートのような所で
不自由な独り暮らしをし、息子の最後の形見だという犬とさえ暮らすことができない。

もう一例は飯館村を出て
6年目にして、ようやく別の場所で一緒に暮らせることになったご夫婦と犬の話
飯館村は放射能汚染で全村避難しているところ。
私がいつも通るところです。
久しぶりに会った犬は覚えていて(当たり前か)狂喜乱舞
一緒に暮らせるのに6年かかったとは。

どちらもいいようなのない悲しみと怒りが沸々とわいてきて
どこにぶつけたらいいのかわからない。

あとどれくらい生きられるかわからない人生を
犬と暮らすことくらい可能にしてやれよ!

原発からあれだけ離れているのに
黒い袋で埋め尽くされて
そこで家族同様の犬と暮らすことすらできない事実
原発事故ってそれくらい恐ろしいことなんだよ!

報道されなかったら知らないんだから
これで怒っている私は偽善者かもしれない。

でも実際被災地で実際避難している人
何もかも失った人
身内を失った人
そして亡くなった人
その声を聴いて、やっぱり怒りは怒りとして持ち続け
機会あらば、声を上げることは必要だと思っている。

何が起こっても、愛する犬と暮らせるぐらいの事
保証してやれよ!
誰に言ってるかわからないけれど、静かに静かに怒っている。


プロフィール

クコナツ

Author:クコナツ
新潟市在住 主婦
夫とのの2人暮らし
10年前、近郊にぼろいセカンドハウスを買い、週末は夫と共にその整備をしています。
趣味=テニス・家事・園芸
2009/12/10上腕部を骨折した事をきっかけにブログを始めました。
骨折は治りましたが、あたふた暮らしています。

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